青色の世界。

好きをひとつひとつ残して。

今更ながら『俺節』期を思い出す

なぜかわからないけど、俺節と私について書きましょう(なお密接な関係はない)。 2016年12月。突如舞い込んできた舞台決定の一報。東京、大阪公演だからもちろん私は行くこともできないけれど。やっぱり自担にお仕事が来たときは舞い上がってしまう。そういう気概よね、ヲタクとは。(?) しかも歌!安くんの歌声の素晴らしさと芝居の繊細さが伝わる!!と更に嬉しくて。また黒髪になるかなぁとか、WS楽しみだなぁとか、そんな軽い気持ちで。

 

でも、彼は計り知れないプレッシャーと気合に溢れていたんだと思う。

私たち1ファンは、テレビや雑誌といった媒体でしか本人の様子を確認することができない。だから関ジャムを見て、雑誌を読んで、安くんを追っていたつもりだったけど。安くんはどんどん見る日が少なくなっていった。春先の関ジャムを最後にぱったりとレギュラー出演しなくなり、ギタープレイもボーカルも見られなくなり、クロニクルの企画にも参加しなくなり。今となっては(真実かどうかはわからない、私の単なる予想だけど)だんだんコージになっていってたのかなと。

なんで?安くんもっとテレビ出てよ!

正直そう思っていた私が恥ずかしい。そして私は見るんだ。WSでの俺節を。そこにいたのは誰?黒髪だとか、衣装だとか、そういう話ではない。そこにいたのは誰?

紛れもない海鹿耕治だった。

こんなちっぽけなハコの外からでもわかるくらいだから、実際に観劇された方達はどれほど感じたのか。畏れ多くもなった。振り絞るような歌声、強烈な訛り、コロコロと変わる表情、着られているような背広、痩せこけた頬。彼は安田章大ではなかった。ずっとずっと、海鹿耕治だった。

関ジャニ∞安田章大としての彼は一貫してベレー帽をかぶり続けていた。それは建前上だとしても、「安田章大」が「安田章大」でいるための命綱だとさえ思えた。気持ち悪い話、そう思えた。

 

ここで、本当に気持ち悪い私の話をします。無理!!な方は回れ右を……

 

 

 

 

 

私は、俺節期である春から夏にかけて、安くんを見るのが辛い時期がありました。理由は様々でしょうが、単純なものとしては、痩せていく安くんを見るのが本当に辛かったのです。ひとつひとつのお仕事に愚直に向き合う安くんは本当に好きです。きっと彼は痩せていくのだって、彼にとっては自然の摂理でもあって、受け入れていたんだろうと思います。厭わないことだったと思います。私は一面的な瞬間的な安くんしか見られないから。アイドルの安くんである間もバックグラウンドにはコージを感じてしまう。それがどことなく腑に落ちなかったのです。そして、もっと気持ち悪いことを言うと、冬のエイタメ時期(ちょうど俺節が発表された頃)の安くんはなんだか棘があるように感じてならなかったのです。ふわふわとした話し方よりむしろ、グイグイ切り込んでいく、少しヒヤヒヤするような。それが私の思い込みか、プレッシャーからか。99.9%前者でしょうが、正直こんなことを思っていました。お仕事を全うする安くんに対してこんなことを思うのは本当に愚かだとは認めます。気持ち悪いね私……でも本当に思っていた。俺節が終わるまで、私はこんな気持ちに苛まれていたのでした。

 

吹っ切れたのは本人のレンジャー日記。ツイッターで情報を得て、ジャニーズWebに登録している友達にも見せてもらったもの。

死にそうだった、毎日なんとか生きていた

これは概要。自嘲してしまうよね、私愚かだって。だってあんなにちっぽけなことを思っている間、彼は死ぬ気でコージを生きていた。この時、私はほんとうにほんとうに安くんが素敵な方である(ここにきて語彙力……)ことを実感し、数ヶ月間のモヤモヤとおさらばしたのでした。

 

なかなか意味のわからない記事になってしまった……

ヲタク人生、紆余曲折。

(締めも意味がわからない)